ネット上で朝鮮人街として有名な(?)川崎の池上町、私も衝動を抑えきれずに訪れてきました。
第二次世界大戦が終了したのは1945年(昭和20年)で、2016年の今まで70年以上の月日が流れています。それまでこの周辺で働いていた朝鮮人がこの地に集結し占拠したのでしょうか。製鉄所(現JFE)の近くが仕事がある一等地だと思ったのでしょうか、よくわかりませんがなぜかこの地に集結したのです。終戦当時は朝鮮は一つの国で南北に分かれておりません。現在は北朝鮮と韓国に分かれていますが、現在ここに住んでいる人達は、一体どちらに所属しているのでしょうか。きっとここの住民は地に足がついていない生活をしているんだろうなと想像しながら、この地にカメラをもって向かいました。
場所はここです。
航空写真はこのありさまです。
この地を目指してJR川崎駅まで向い、そこからバスに乗りました。
バスの中の電光掲示板にはしっかりとハングル表示がされています。これだけ川崎にはあっちの人が多く住んでいるということなのでしょう。と言ってもハングル表示が必要なのはニューカマーといって戦後のどさくさに紛れて住みついた不法入国者や密航者(オールドカマー)ではなく、1980年代以降に日本にやって来た韓国人の長期滞在者です。これから見に行こうとしている池上町のスラム街はオールドカマーの巣窟です。オールドカマー達は日本語で生活出来ますし、そもそもハングルが理解できるかも怪しいです。
池上町というバス停にてバスを降り、そこからスマートフォンで地図を見ながら目的地に向かって歩き始めました。バスから降りた場所はJFEの工場に面した道路で、この辺一帯は住宅地ではなく、コンビニはおろか、何もありません。あるのはJFEのフェンスのみ。歩いて行くとこんなベンチが出来てきました。
便○屋。便利屋でいいのでしょうか。ベンチが何かの宣伝になっていることはよくあります。でもここまでぼろぼろになった宣伝のベンチが放置されているのは見たことがありません。ベンチ、というか、これは2つのイスを結合させて作ったもののように見えます。まだ池上町に着いていないのにかなり怪しげな雰囲気です。
道を歩いて行くと、猫が数匹出てきました。きっと餌をあげている人がいるのでしょう。
そして少し進むと電柱に花束が置いてありました。
この場で何が起きたのか、察しがつきます。よく見かける光景です。
さらに歩いて行くと公園が出てきました。道を歩くより、その公演を横断した方が近そうなので、公園の中に入って行きました。するとこの公園にも猫がいます。
公園を歩いて行くと猫が次から次と出てきます。猫おばちゃんが近くに住んでいるのかもしれませんね。公園を横断してしばし歩くと、目的の場所、朝鮮人街に到着です。
まず目に飛び込んできたのがこの光景です。
ゴミ置き場です。川崎市のごみの収集に関しては私はよくわかりませんが、この日は土曜日なので不燃物の収集はあったとしても、このようなごみの収集はないと思います。いきなりここに住んでいる人達の民度が分かってしまいます。
そして見えてきたスラム街。ここが戦後朝鮮人が占拠し、現在に至っている場所です。
「無断駐車・・・」の表示を左折して、スラム街に入ることにしました。
そしてこんな看板が転がっていました。
「犬・・・ン飼・・・犬と飼う資格・・・」
・・・の部分に何を入れれば文が完成するのでしょうか。この看板の状態から察するに、相当前から放置されているようです。誰も片づけないのですね。直ぐ近くにゴミ置き場があるというのに。これかここの住民の民度なのでしょう。そしてちょっと歩くとまた看板が・・・。
「・・・のフン 飼・・・が責任を」
いやいや、その前に不法投棄をどうにかしろよと言いたいです。
そしてトラックの不法投棄・・・。
これって不法投棄なのでしょうか。もしかして置いているだけ?置いているようにも見えますね。
そして猫ちゃんのお出迎え。
この場所に猫ちゃんは数匹いました。きっと飼い猫なのでしょう。首輪はしていませんでしたが。
この辺まで歩いて行くと、カメラを構えることさえ恐くなってきます。カメラを構えたところを住民に見られて、突然襲い掛かってくるのではないか、という恐怖心が出てきました。
本当にこの場所は廃墟が多いです。
きっと戦後に占拠した時から一度もメンテナンスされず、そのうち放置されたのでしょう。土地の持ち主は誰なのでしょうか。ちゃんと固定資産税払っているのでしょうか。
さて、ここからの写真ですが、立ち止まってカメラをしっかりと構える余裕がなく、歩きながらピントも合わせずシャッターを切りまくる写真が増えてきます。恐くて立ち止まれないのです。あくまでも住民または住民のお客さんのふりをして普通に歩いていると見せかけて、片手に持ったカメラを、カメラの画面も見ずにシャッターを切るので、写りが悪い写真が続きます。
この場所は通路でしょうか。それとも庭なのでしょうか。自転車が無造作に駐輪されています。
トタンと扉(?)で隠された物置があります。
この2階の扉は何でしょうか。
どうすればこのような扉が出来るのでしょうかね。内側から扉が開かないように細工がされていると予想しますが・・・。下の二つ並んだ扉もとても不自然です。二世帯住宅?中がどのようになっているのか、入ってみたい気もします。
なぜか、このスラム街には手作りの表示(看板?)や貼り紙が多いのです。
「この道は市道ではありません。私道であり庭です。出来るだけほかの道を回ってください。」
もうちょっと気の効いた書き方がありそうですが・・・。そもそも本当にこの人の所有地なのでしょうかね。でも実際、この辺一帯は道なのか庭なのか分からない場所が多いのです。みんな同胞だし、境界線なんであってないものなのかもしれません。
これだけ道が狭いのに植木鉢を置いたり。・・・。
しばし歩いて、川沿いに抜けました。
「ペットボトル 鉄カン ココに入れること」
ここは公道でしょう。このように公道をあたかも私有地のように使ってしまうのも、彼らの特徴なのかもしれません。これらのカラーコーンは私物ですよね・・・。
この道路の脇にある物置ですが、この場所は住民の私有地でしょうか。
ぼろぼろの家があります。アパートなのか、一戸建てなのか、よくわかりません。
ぼろぼろですが、カーテンが入っているし、エアコンのファンも置いてあります。人が住んでいるのかもしれません。このぼろぼろの建物の横に比較的立派な家があって車が入っている。本当に異様です。
その他、撮った写真をまとめてお見せします。
いやいや、これだけ狭いのに、どうしてここに家を立てたがるのでしょうか。同胞と一緒に住んでいたいのでしょうか。
家族が道で遊んでいました。明らかに住民です。
ここの住民は自転車が足なのでしょう。世帯数に比べて車の数が非常に少ないです。
酷い有様ですね。
ここは道なのでしょうか。それとも私有地?
そろそろスラム街の内部は写真をとりきったので、外側から写真を取ることにしました。
「池上コインランドリー」
このコインランドリーを見つけた時、中に入ってみるべきでした。残念ながら入らなかったのです。心残りですね。
「焼肉定食 道飛館」
入る勇気はありませんでした。利用者はここの住民だけでしょうね。
この地にはこのようなごみ置き場が多くあります。回収されているのでしょうか。
「大山荘(2棟)現況アパート売ります*貸します。建物売却価格5,130万円」
この物件欲しいですか?この地にあるこのありさまのアパート、5,130万円で。カオスですよ。
2棟とは、これらの2棟の事でしょう。
十分写真も撮ったことだし、この辺でこの地を去ることにしました。でも歩きながら、さらにいくつかの写真をとりました。(写りは悪いですが・・・)
これにて池上町の朝鮮人街を後にしました。
いやいや、スラム街の中を歩いている間は本当に生きている心地がしませんでした。彼らは選挙権があるのかどうか分かりませんが(ないでしょうけれど)やたら公明党にポスターが貼られていたり(少しだけ共産党)、廃墟の横に新しい家が建っていたり、一見普通の人達が歩いていると思えば、浮浪者のような身なりの人が出てきたり、何から何までカオスです。
どうして彼らはこの地に住み続けるのでしょうか。もっと住み心地のいい場所はいっぱいあります。こんな場所に住むくらいなら帰国してもいいと思います。そもそもどこの国に人でしょうか。北?南?こんな場所に住み続けるなんて、ここの住民達は相当なひねくれ者なのでしょうね。